毒親とは?最近よく聞くのはなぜ?言葉の独り歩きも?過干渉のリスク

毒親という言葉は、比較的最近になって聞かれるようになった言葉です。

少なくとも私が子どもの頃は、毒親なんて表現は知りませんでしたし、もしも知っていたとしても、声に出してそんな話題を発言することはできなかったでしょう。

 

このページを見てくださっているあなたは、自分の親が毒親なのではないか、もしくは、自分の身近な人の親が毒親ではないか、と心配しているのかもしれません。

または、自分が毒親になっていないか不安だ、ということもあるかもしれません。

 

毒親とは何でしょうか?

どうして最近になってから、この言葉が多く聞かれるようになったのでしょうか?

今回は、幼少期の実体験と共に、毒親について掘り下げていきましょう。

毒親とは

毒親とは、子供にとって毒になる親のことです。

毒になるというのは、なんらかの悪影響を及ぼすということです。

 

特に多いのは、過干渉な親で、私の親の場合もこのパターンの毒親だったのではないかと思われます。

過干渉の親というのは、一見、子供を愛しているがゆえに、心配し過ぎて干渉しすぎてしまうと思われがちです。

むしろ、親として理想的で愛情に満ちているようにも聞こえます。

しかし、干渉も度が過ぎると、愛でもなんでもなく、単なる縛り付けでしかありません。

 

そして、毒親というのは、実際には子供のことよりも、親自身の自らへの愛があらゆる言動の要因になっています。

子供に対しての愛よりも、親自身が自分の感情や都合を優先してしまって、それを基準に子供への対応を決めてしまっている場合、毒親の傾向が強いと言えるでしょう。

 

また、多くの毒親は、子供を自分の言いなりにしようとします。

逆らうと大声を出したり、暴力をふるったりして、言うことを聞かせようとします。

 

しかしやっかいなのは、毒親は自分が毒親になってしまっていることに気づきません。

第三者から見れば自己愛を優先していると判断できる状況でも、私は子供のためにこうしている!子供を愛しているからこうしているんだ!と強く主張し、たいていの場合譲りません。

毒親、最近よく聞くのはなぜ?

この毒親という言葉が初めて使われたのは、1989年と言われています。

この頃に産まれた子供たちが大人になり、インターネットが普及して、スマホなどを一人一台持てる時代になり、SNSなどで簡単に自分の意見や思いを自由に世界に発信できるようになりました。

 

毒親に育てられた子供たちが、親になり、子育てをしながら自分の子供の頃を思い出して、疑問を抱いたのかもしれません。

自分の育った環境に疑問を感じながらも必死に生きてきて、大きくなるにつれて、友人の家族、パートナーの家族など、周りの家庭と比較して、やっぱり自分の体験はなんだかおかしいのかもしれないと、疑問が確信に変わっていきます。

自分が親になって子育てをしてみて、自分なりに勉強しながら、赤ちゃん雑誌から始まり、いろいろな育児書にも目を通したりして、他の家族のあり方や、一般的な家族関係を見聞きします。

自分の幼少期の体験は、やはり何か違う、子供を愛しているなら、他のやり方があるはずだと、自分の子供の頃に感じた疑問はやはり正しかったと、だんだん理解していきます。

子供の頃の体験が、理不尽なものだったと気づくと、ホッとするような気持ちもありながら、時間を巻き戻して幼少期から人生をやり直したいような気持ちになります。

 

しかし、人生を最初からやり直すことはできません。

できるのは、これからの人生を悔いなく生きることです。

取り戻すことができない子供時代を悔やみながら、せめて自分のこの気持ちを誰かに分かってほしいと考えます。

これが、最近になって毒親という言葉を見聞きする機会が増えた原因です。

 

自分の幼少期の辛かった体験を記録したものを、また、自分の子供には同じことをしたくない、という決意を発信する人が多くなりました。

それらの毒親に関連する悩みを抱える人たちが多いことが分かり、解決策などの情報が増えてきたことも理由のひとつでしょう。

 

毒親という言葉自体が認知されてきたのは最近ですが、きっとずっと昔から、今でいういわゆる毒親は、存在してきたと思います。

ただそれを記録に残したり、発信する術が、無かったのではないかと考えられます。

 

そもそも、育ててくれた親に対して毒などという表現をして、恩をあだで返すようなことは、許されない風潮がありました。

特に、毒親と言われる親たちは、育ててもらったくせに文句を言うなというスタンスの方々が多いように思います。

言葉にしたり、ましてや書いて残すなんていうことは、どう考えてもできないことだったのではないでしょうか。

私も、今でこそこんな記事を書いて発信しようと思えるようになりましたが、子供の頃は、友達や先生にも、相談したり、自分の状況を話したりすることはできませんでした。

回りまわって親の耳に届くかもしれない、もしそうなれば、私はまた何を言われるか分からない、絶対に誰にも話してはいけない、という思考回路です。

毒親という言葉の独り歩き

しかし、簡単に毒親という言葉を使ってはいけないのかもしれないという思いもあります。

毒親という表現が一般的になってきた現代では、毒親についての話題があふれていますが、詳しく話を聞いてみると、毒親とは言えないケースだな…と感じるエピソードも多くあります。

 

毒親と言われた当の親は少なからず傷つくでしょう。

しかし、本物の毒親なら、傷ついたり、過去を振り返ってみたり、反省したりすることよりも、自分を正当化して、いかに子供が間違っているか、自分がどれだけ正しいことをしてきたかを熱弁したり、場合によっては逆上して怒鳴ったりするかもしれません。

毒親と言われて自分の育児を思い返してみたり、過去の何が辛かったのか、子供の話を落ち着いて聞いてくれたりする親なら、毒親度は比較的低いと言えます。

 

子育てが始まったばかりの親は、自分が毒親になってしまわないかと必要以上に心配するかもしれません。

また、毒親になってはいけないからと、しつけをしないことは、全くの別問題です。

最近では、子供が何か悪いことをしていたり、公共の場所でいたずらしたりしていても、注意もせず放置している親が非常に多いです。

過干渉と不干渉

過干渉は、干渉しすぎることです。子供と関わらないようにするわけではありません。

むしろ、子供との正しい関わり合いは、必要不可欠です。

最近では、親の無関心、不干渉、放任、放置などは、とても多くなってきています。

 

干渉しすぎてはいけないということは、干渉しないということではありません。

年齢などに合わせて適度に干渉しつつ、子供の成長と一緒に、徐々に制限を減らしていくのが理想的です。

 

バランスを取るのが難しいと感じるかもしれません。

しかし、子供の成長を見極めて、タイミングを見て子供の自由を少しづつ増やしていくことは、とても重要です。

大人になって親元を離れたりして、行動を制限されなくなったときに、それまでの我慢が決壊してしまうことがあるからです。

過干渉からの突然の自由はリスクを伴う

私自信も、子供の頃にできなかったことや、親元で制限されてきたことなどがたくさんありました。

独立した時点で突然自由になり、その反動はとても大きく、今までできなかったことにいろいろと挑戦しました。

 

小さな危険やリスクを経験しないまま大きくなっているので、大きな危険を経験したりすることも多々ありました。

遊び方や、お酒の飲み方、お金の使い方など、過干渉からの突然の自由は、正直、とても危険だなと実感しました。

 

一番良いのは、子供の頃から、徐々に制限が減っていき、自由になる範囲が少しづつ大きくなっていくことです。

しかし、既に大人になりかけている方や、過干渉の毒親から自由になったばかりの状況の方、もうすぐ独立して自由になれるという方がこれを読んでいたなら、ぜひ、いきなり大きな挑戦はせず、徐々に、少しづつ新しい自由を楽しんでほしいものです。

まとめ

毒親について、一緒に見てきました。

毒親に育てられた子供たちが大きくなり、時代の流れと共に自分の意見を簡単に発信できるようになり、毒親という言葉が認知され始めました。

 

毒親は、子供への愛よりも、自分の考えや都合を優先します。

 

毒親から解放されたときの反動は大きく、リスクを伴います。

自由を謳歌するのもとても大切ですが、痛い目を見ないように、自分をしっかり制御して、身を守る術を知っていく必要があります。

 

毒親育ちの子供たちは、どんな大人になるのでしょうか。

毒親に育てられた子が親の立場になった時、何を思うのでしょうか。

 

結婚して子供を産むことを考えたり、実際に自分が親になると、毒親にはなりたくない、と考えるようになるでしょう。

もちろん、重いとは裏腹に、厳しくしすぎてしまったり、自分が経験したことを我が子に対しても同じように接してしまうこともあるかもしれません。

 

毒親育ちが親になることを悩んだり、怖いと感じるケースが多いようです。

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