幼稚園も保育園も行かないまま、小学校に入学するとなると、とても不安になりますよね。

 

このページを読んでくださっているあなたは、もしかしたら、お子さんが幼稚園にも保育園にも行かないまま、小学校への入学を目前に控えているのかもしれません。

もしくは、親せきやお友達の中に、そういった状況のお子さんがいて、心配しているのかもしれません。

いずれにしても、不安を感じてここまで辿りついたのだと思われます。

 

我が子が何らかの理由により無園児になってしまいそうな時、お子さんのクラスに無園児のお友達がいる場合など、この記事を読んで、偏見や固定観念で見るのではなく、背景や事情を知ってほしいと思います。

無園児とは

無園児とは、幼稚園にも保育園にも入園しないまま小学校に入学する子供たちのことです。

理由は様々ですが、何らかの事情があり、集団生活を経験しないまま、小学校に入学することになります。

 

この、無園児が今、少しづつ増えてきていて、社会問題になっています。

詳しく見ていきましょう。

無園児の割合

平成25年の厚生労働省の調査では、推計未就園児、つまり幼稚園にも保育園にも行かないまま小学校に入学する3歳から5歳では該当年齢人口の約6.6%で、209786人もの子供たちが、幼稚園にも保育園にも在園していないという状況です。

 

5歳児だけに限定した場合は、15670人ほどになるという結果が出ています。

これは、該当年齢人口の約1.5%であり、全体から見れば少数ではありますが、集団に属したことが無いまま、小学校に入学する子供たちも、この中に含まれていることになります。

幼稚園にも保育園にも行かない理由

在園していない理由については調査されていないので分かりませんが、例えば、転勤の都合で引っ越した先で定員オーバーで受け入れられる施設が無かったとか、保育園に在籍していたが、保護者の退職などのタイミングで退園となり、ちょうどよく入園できる幼稚園などが無かったとか、状況はいろいろと考えられます。

保育の受け皿が不足していることや、夫婦で働く家庭が増えたこと、社会がそれに対応しきれていないことなど、様々な問題との関連があります。

 

また、イレギュラーな理由として、宗教上の理由などもあります。

私は、まさにこの宗教上の理由により、子どもの頃に幼稚園にも保育園にも入ることができませんでした。

 

私は子供ながらに、テレビや本で幼稚園や保育園という存在は知っていましたので、自分も一定の年齢になれば入園する時が来るのだろうと、信じて疑いませんでした。

保育園にも幼稚園にも入らないと言われたとき、誰でもみんな行くものではないの?行かない選択肢ってあるの?と、子供ながらに疑問がたくさん出てきたことを覚えています。

しかし、今でこそ言葉にしてまとめることができますが、それらの疑問をうまくまとめて質問することは当時3歳の私にはできませんでした。

親の決めたことに反抗したり、疑問をぶつける術が無かったのです。

私は結果的に無園児となりました。

 

近くにある幼稚園は宗教法人が運営している幼稚園であったため、その宗教とは異なる信仰を持っていた母は、私がその異教の幼稚園に入ることを許しませんでした。

保育園はと言えば、母は、保育園とは日中に仕事をしていて保育できる人がいない時に利用するべきもの、と考えていました。

保育の認識は間違ってはいないのですが、保育園には入園させたくない理由がもう一つあったようです。

母は保育園に対して偏見があり、幼稚園は教育をする場所であるが、保育園は幼稚な遊びしかしない、と考えていたようでした。

行かせるだけ保育料の無駄だと感じていたようでした。

 

今思えば、田舎の保育園で定員オーバーでもなかったはずなのに、かたくなに保育園の利用はダメだと言い、家庭で保育をし、教育すると決め、自宅で小学校入学前まで過ごすことになりました。

私は結局、集団に属したことがないまま、小学校という義務教育の集団に飛び込まなくてはならなくなりました。

無園児の親のタイプ

まず、無園児の親には、パターンが2つあります。

幼稚園や保育園に行かない分、家庭でしっかり教育をしようとする親と、どちらかといえば教育面は気にしておらず、自然体で遊ばせる親です。

 

もちろん、この中には子供の相手をせずに放置したり、ニュースで見るような無責任な親や、厳しいを通り越して虐待する親など、さらに多くのタイプの親がいるのですが、無園児という観点においては、教育する親、しない親、という2つの分類で考えていきたいと思います。

 

この2つの親のパターンがあるため、子供たちも、マンツーマンでみっちり教育されるパターンと、自由に(もしくはほったらかしにされて)遊んで過ごすパターンとがあります。

私の場合は、前者でした。

 

後者の場合は、小学校に入ってから、授業について行けずに苦労することも考えられます。

ただし、遊びも工夫次第で学びにつながる部分が大きいので、一概に遊びを否定することはできません。

親が子供の成長や教育を意識した関わり方をしたかどうかが重要になってくると思われます。

無園児の学習面

私の場合は母が基本的にいつも一緒にいて、朝から晩まで常に一緒にいる生活でした。

過保護、過干渉な部分もあったとは思いますが、いろいろと根気強く教えてもらったことも確かです。

今となっては、教育面に関しては、母に非常に感謝しています。

 

ひらがなの読みは3歳でマスターし、書きは4歳でほぼ完ぺきでした。

カタカナも同じ時期に覚えましたし、簡単な漢字などもどんどん覚えていき、宗教の雑誌や読み物が家の中に山ほどあったため、それらを絵本代わりに使っていたこともあり、読みだけなら相当な数の漢字を読むことができました。

小学校に入学する時点で自分の名前程度は全て漢字で書ける状態になっており、担任の先生を驚かせた記憶があります。

自宅には英語の教材などもあり、テレビはいつも教育テレビが流れており、知識量や情報量は同年代の子供たちに比べてかなり多かったと思います。

 

余談ですが、教育テレビって、幼児向けだけではありませんよね。

小学校高学年向けの理科や社会の番組や、大人向けでも解説が分かりやすいものなどは、興味を持って見ていました。

このように、集団の中で学ぶよりも、自分だけに集中して教えてくれる母という家庭教師のおかげで、学習面では非常に恵まれていたと感じます。

宗教も、漢字などの国語力を伸ばすことについては、ある意味では良い影響もあったかもしれません。

 

しかし、無園児の誰もが同じ状況ではありません。

我が家は特殊でしたが、普通はそこまで難しい読み物を読ませたりする家庭は無いでしょう。

教育に関してあまり熱心でない親だった場合、小学校入学までに読み書きなどの事前知識が足りず、学校に入ってから苦労することもあるかもしれません。

 

結局は親がどう過ごさせたか、本などを読める環境だったのか、知識を身につけるための情報源があったかどうかなど、さまざまな要因が関係してきます。

もし、定員オーバーなどの理由で無園児になってしまった場合でも、家庭で読み書きや数に関して触れる機会を多く作るようにすれば、授業についていけないという事態は避けられます。

無園児の精神面

親と長く一緒に過ごすことで、情緒が安定するのではないかといった声もあるようです。

しかし、これは必ずしもそうではないかもしれません。

私の場合、親と楽しく過ごした記憶よりも、厳しくしつけられた記憶ばかりが残っています。

 

情緒との関連性があるかどうか分かりませんが、小学校に入ってから、いつもよく泣いていたことを思い出します。

単なる泣き虫なだけかもしれませんが、この泣いている状態が、他の子供たちよりも多かった気がします。

安定どころか、完全なる情緒不安定だったように思います。

 

同年齢の平均的な身長体重よりも体が大きかったこともあり、母は私が実年齢よりも年上に見られがちであることを気にしていました。

そのため、実年齢よりもはるかにレベルの高いことができるようになっていなければ、恥をかくと考えたようです。

普通の3歳、4歳、5歳が当たり前に許されるようなことを、母は一切許しませんでした。

ちょっとしたワガママなんて聞いてもらった記憶はありませんし、学習面は先に述べたとおりで、常に先取りで学んでいました。

 

そんな理由もあり、とにかく、我慢我慢、忍耐、自制、自分を押さえつけられて、子供らしい希望も要望も全てどこかに置いてきて、世間的に賢そうに見える状態を作られたような気がします。

食事作法などの生活面に至るまで、こぼさない、汚さない、きれいに食べることなど、徹底して教えられました。

 

確かに小学校に入ってから、同年齢の子供たちよりもいろいろなことが上手にできましたが、何かをどこかに忘れてきてしまったような、もっと子供のうちにやっておかば良かったことが、抜け落ちているような、でもそれが何か分からない、そんな感覚が未だにあります。

小学校時代のある担任の先生から、子供らしくなくてかわいくないと、面と向かって言われたこともあるくらいです。

もちろん深く傷つきましたし、今でもその先生を許すことはできませんが、言ってもいいことかどうかは別として、実際にかわいくなかったのでしょう。

 

無園児の誰もが同じとは限りませんが、子供の精神面の成長も、やはり個人差があります。

無園児だからという固定観念で見るのではなく、ひとりひとり違った人格であり、子供にはどうすることもできない事情があるかもしれないことを忘れずに、接してほしいものです。

無園児の集団生活

うまく説明できないのですが、子供時代、家族以外の人との関わり方や接し方がよく分からず、どうしていいのか分からないので、固まってしまうことも多くありました。

 

また、集団で生活した時に、正しくなくても強い者の意見がまかり通るような場面があります。

これは、集団生活を体験しなければ分からないことです。

私は正しいことを言っているのに、なぜみんなは別の結果を出すのか分からないというような場面で、どうしていいか分からなかったりすることがよくあり、やはりそうした場面でも涙していたように思います。

正しければ押し通したり、まぁいいやと譲ったり、対応方法はたくさんあるのですが、集団生活の中での対応の経験が少なすぎて、どうしていいのか分からなくなってしまうのです。

 

例えば私は、何かおもちゃを取り合いになったら、テレビや本などの情報から、相手に譲る、というおりこうさんな選択肢しか知りませんでした。

自分が少し遊んでから譲るとか、終わったら貸すね、とか、譲らない、という選択肢を知らないので、いつも何か損をしてしまうような、正直すぎてバカを見るような、そんなことばかりでした。

 

譲ってばかりいると、学校と言う集団の中では弱い人、と認識されるようで、だんだんスクールカーストの中で自分が下位に位置するようになっていきます。

いくら勉強ができて知識が豊富でも、学校と言う集団の中ではそれはあまり強い武器にはならないと感じています。

 

集団生活を知らない無園児の中には、逆に、今まで自分の思い通りになっていたことが、集団生活ゆえに希望が通らないことも経験するでしょう。

そうなったときに、私のようなパターンとは反対に、自分の気持ちを優先してしまいがちになる子もいるかもしれません。

 

いずれにしても、突然集団に入るよりは、児童館や、地域の同年代の子供たちと遊ぶ機会を作り、集団での人との関わり方を学んだり、練習できるように無園児の場合は特に工夫が必要でしょう。

 

学校にあがると、人付き合いや、流行の物を持っているかどうか、集団の中で上位に立てるかどうかが、結局は重要なようです。

無園児は、この集団の中で上位に立てるかどうかという難関を、小学校に入って初めて経験することになります。

保育園や幼稚園で同じだった子供たちは、ある程度人間関係ができています。

仲の良い子が一緒に入学して、同じクラスになったりすれば、あまり不安は無いかもしれません。

しかし、無園児には、近所にお友達でもいない限り、最初の時点で仲間がいません。

自分自身のかっこよさや面白さなどの魅力や、運動ができるかどうか、持ち物、着ているもの、女の子に至っては、あからさまですが顔がかわいいかどうかなどによって、友達や味方を獲得していかなくてはなりません。

大人が思うよりも、子供はシビアですし残酷です。

 

無園児なのであればなおさら、小学校入学前に、ユーモアのセンスをみがく、習い事などで特技を身につけておく、人間的な魅力を出していかなくてはなりません。

とはいえ、離れた地域から来た子や、他の幼稚園や保育園から来た子など、徐々に、好みが似ているとか、好きなアニメのキャラクターが同じとか、友達になれる子が見つかるようになるとは思いますが、メンバーがほとんど変わらない田舎の小規模な学校では、そうはいきません。

だからこそ、可能な限り、幼稚園か保育園に入園しておくことを、無園児だった私は強く勧めますし、社会的にも、子供たちの受け皿をしっかり確保してほしいです。

もしも状況によってどうしても無園児になってしまったという場合は、親が子供のために、小学校に入ってから孤立したり、悲しい思いをしないように、同じ学区の子供たちとのつながりを作っておくなどの、なんらかの対策を必ずしてほしいと思います。

まとめ

無園児の問題について、考えてきました。

子供たちが6年間も過ごす小学校で、仲間外れにされたり、いじめられたりすることは、絶対に避けたいことです。

 

無園児は、そもそもお友達が少なかったり、場合によっては一人もいなかったり、人間関係での接し方や対応の仕方の経験値やパターンが少なかったりと、圧倒的に不利な状況から学校生活がスタートします。

その中でも苦労したり、悲しい思いをしないように、親としてもできるだけのことをしましょう。

 

子供は、長い時間を学校で過ごします。

その学校と言う狭い社会が、子供にとっては全てなのです。

子供の気持ちをくみとり、楽しい学校生活が送れるように、サポートしたいものですね。

 

無園児でもできる自宅学習のひとつとして英語を学ぶのはいかがでしょうか。

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