毒親に育てられた、という自覚がある人は、最近では少なくありません。

パートナーから毒親育ちだと打ち明けられて、驚いて返す言葉が見つからなかった、という場合もあるかもしれません。

 

いずれにせよ、毒親に育てられた人が、今度は自分が親の立場で、子供を育てていくことを考える時、とても悩むのではないでしょうか。

 

私自身、自分のような者が本当に子供を産んでもいいのか、きちんと育てていけるのか、かなり悩みました。

自分が知っている子育ては、自分を育てた親の子育てであり、それが少なからず問題があったと自覚している場合、その子育てをそのまま適用することはできないと感じます。

しかし、それ以外の子育てを見たことが無いため、どうするのが正解なのかも分からないというのが正直な気持ちでしょう。

 

たくさんの育児書があふれていますが、毒親が親になる場合にどうすればよいかを掘り下げた書籍がちらほらと書店に並びだしたのは、最近のことではないでしょうか。

周りからの理解を得られないことや、辛かったことのフラッシュバック、私は今でもいろいろな壁にぶち当たります。

毒親育ちが親になってもいいのでしょうか。

毒親育ちの理解者は少ない

まず、そもそもの問題点として、毒親育ちであること、毒親などという表現をすることすら、理解してもらうのが難しいケースが多いでしょう。

ほとんどの人たちは、基本的には親から適切な愛情を受けながら、すくすくとのびのびと育ってきています。

そんな恵まれた育ち方をした人から見れば、自分の親を毒親と発言すること自体が罪であり、到底認められることではありません。

説明しても、信じてもらうことができなかったり、それでも親を悪く言ってはいけないと諭されたり、私自身、今まで親の話をしたことがあるのは、信頼できると感じたほんの数人だけですが、反応は様々でした。

 

就職して独立してからは、交友関係も広くなり、友達も多いほうだと思いますが、家族の話しをして共感できると感じたことがある友人は、私の場合は今まで一人もいませんでした。

それだけ、毒親育ちはまだまだ少数派であり、理解されにくい環境であることが分かります。

いや、毒親育ちが多数派になってしまっては大問題なので、少数派のままでいいのですが。

 

主人は温かい家庭で育ち、毒親などとは程遠い、本当に優しくて親切な義父母ですし、私が毒親という表現をしたりすることを良いと思ってはいません。

だからこそ、あまり話題にすることもありませんし、分かってもらうチャンスというのも少ないと思います。

 

生活の中で、毒親の影響と考えられる習慣やくせなども、親のせいだという考え方は間違いだと指摘されます。

自分のことは自分の責任、自分の人格、自分のせいだと、いつも言われます。

いい大人が、なんらかの問題を親のせいにすること自体が、世間一般的には悪いこととして扱われています。

 

しかし、実際に毒親に育てられた人にしか分からない、いくら努力しても自分ではどうしようもできない負の影響や感情などがあるのです。

主人は基本的には優しい人なので、悪気があって言っているわけではないことはよく分かっているのですが、それでもこの、親のせいにするな、と言われることは、精神的にかなりきつかったりします。

 

自分でできそうなことは、たいてい挑戦して、手を尽くしてきましたし、自分が自分でどうにもできなくて、大人になって周りが見えるようになってきて改めて、自分の育った環境の異常さを確信するようになってきているのです。

自分でどうにかできるなら、とっくに解決していることばかりのはずなのです。

 

毒親育ちの自分をまるごと分かってくれ、認めて愛してくれるパートナーと一緒になることが、一番精神的には楽だと言えます。

しかし、毒親育ちは少数派ですし、毒親育ち同士の結婚が一番いいとも言えないのです。

毒親育ちが親になる不安

特に、配偶者などのパートナーが毒親育ちであることへの理解に欠ける場合、これから長い年月を一緒に過ごし、子供を育てていくという大きな目標を抱えて生きていくとすれば、苦労が絶えないことが容易に想像できるでしょう。

子育てだけでも大仕事なのに、それ以前に子育てやしつけに関する根本的な考え方が違うのですから、お互いの考え方に食い違いが出てきます。

 

また仮に、夫婦がお互いに毒親育ちだった場合、共感して支え合える構図は理想的かもしれませんが、自分たちが経験した育てられ方を我が子に再現してしまう可能性が否定できません。

その育て方しか知らないのですから、当然と言えば当然かもしれません。

また、例え毒親育ち同士であったとしても、我が子に同じ思いはさせないという強い決意で、理想的な子育てを実行できている家族もいるでしょう。

 

パートナーが毒親育ちでも、そうでなくても、自分が親になると考えると、不安で押しつぶされそうになります。

真剣に考えれば考えるほど、答えは見えず、解決策も出てきません。

毒親育ちでも、そうでなくても、パートナーが誰であっても、子育ては正解が無く、全く同じパターンは一つとして無く、ある意味では世界で一番難しい仕事なのではないかと思っています。

ただでさえ難しい育児を、自分が受けた育て方ではない、別の方法で育てなければ、子供に辛い思いをさせてしまう、失敗したくない、失敗できないというプレッシャー、そして、参考になる理想の育児像が身近に無いという問題など、毒親育ちはそうでない親たちに比べて、不安が大きくなってしまうのもうなずけます。

毒親育ちの決意

それでも、愛する人と結婚して、幸せな家族を、自分が子どもの頃に経験したようなものではなく、本当の意味での幸せな家庭を築きたいと願い、出産を決意する人はたくさんいます。

 

私も、幼少期の自分の家族とは違う、幸せな家族を作りたい、自分も幸せな家族の一員になってみたいと考えるようになりました。

結婚することも、毒親育ちからすれば相当なハードルなのですが、それはまた別の機会にお話しするとして、やはり私も子供を産んで、育てたいと思うようになりました。

 

きっと、育てていく過程で、いろいろな困難や障害があるのだろうとは思いましたが、幸せな家族という夢のほうが大きくふくらみ、私を後押ししました。

 

自分がしてほしかった理想の子育てをしてみよう、と考えました。

もちろん、やりたい放題で放任主義ではなく、なおかつ干渉しすぎることなく、なんでもダメだと縛り付けるような子育てではなく、成長に合わせて、徐々に自由が増えていくような、そんな子育てをしたいと思いました。

自分が親になることで、親の呪縛から解放されたいと思うようになりました。

むしろ、親と言う立場を経験しなければ、いつまでも自分の親から逃れられないような気がしました。

毒親育ちが親になろうと決意した瞬間に、なぜだか少し気持ちが軽くなりました。

毒親育ちの再確認

結果的に、親の立場になりましたが、親になって良かったと思っています。

もちろん、大変なことや、恥ずかしい体験や、がっかりしたり、ヒヤッとすることなどもたくさんありますが、親にならなければ、親の大変さも分からないし、自分の親が言った言葉、その時の感情など、今までは分からなかった部分も、少しは分かるようになってきました。

 

親の気持ちを分かって、その上で自分の幼少期を思い出してみると、改めて冷静に考えることができます。

私の親は、毒親と言えるような親だったのか、自分は本当に不幸な子供時代を過ごしたのか、客観的に再確認できるようになりました。

 

また、育児をしながら、余裕がなくなる気持ち、失言したり、厳しくし過ぎて反省するような場面など、失敗も毎日たくさんあります。

自分の親も、もしかしたらあの時、余裕が無かったのかもしれない、あの時親はこう言ったが、別の家族内での問題があったのかもしれない、と思えるようにもなりました。

 

それでも、自分の親との違いは、失敗してしまっても、悪かったと思う部分は謝る、反省する、改善するということです。

私の親は、子供は親の言うことを聞いて当たり前、という考え方でした。

明らかに親が間違っていても謝りませんでしたし、子供に間違いを指摘されようものなら、怒鳴って泣き叫んだり、手を上げたりされました。

 

今でも自分の幼少期を思い出して涙する日もありますが、それでも、子供に自分の幼いころの姿を重ねながら、同じ思いをさせないように、自分はあの頃、どうしてほしかっただろうかと考えながら生活しています。

毒親育ちの新たな目標

我が子を育てていくうちに、毒親育ちでも立派に子育てができることを証明して、自分の親を見返してやりたいとも思うようになりました。

この考え方自体が、まだまだ親の呪縛から解放されていない証拠ですが、無事に子供を育て上げて、大人になった我が子が、産まれてきて良かった、あなたの子供で良かった、と言ってくれたら、私は親の呪縛から解放され、本当の意味で幸せな家庭を体感して、自分も生まれてきて良かったと初めて思えるような気がします。

 

正解の無い子育てだからこそ、やりがいがあるし、子供の成長を見ながら、自分もまだまだ未熟だと反省させられることも多く、どうすればもっと良くなるのかを考えながら、毎日がとても充実していると感じています。

親の言いなりで、波風立てないように生きてきた子供時代とは違った意味で体力も気力も使い、とても大変ですが、不思議と心地よい疲労感と達成感を味わっています。

 

子供は、我が子とはいえ別人格です。

自分と似ている面もあれば、全く理解してあげられない面もあります。

一体なぜそんなことになるの?という理解不能な場面もたくさんあり、そんなに自由でうらやましいなと思うこともたくさんあります。

自由としつけとのバランスは難しいですが、そこを、親としてまだまだ初心者ですが、子供と一緒に考えながら、主人の考えや、自分の考えも、全てすり合わせながら、どうするのが一番いいか、毎日毎日、悩みまくっています。

 

生まれてきて良かったと、いつか我が子に言ってもらえるように、これからも子育てに奮闘していきます。

毒親育ちも親になっていいのか

ここまで述べてきたように、結論から言えば、毒親育ちでも親になってもいいと私は考えています。

ただ、無責任にではなく、責任を持って、自分自信でよく考えて、悩みに悩みぬいて、親になることを決めるべきだと思っています。

 

毒親育ちに限らずですが、子供ができるような行為をしても、無責任に中絶してしまったりする人も多くいます。

明らかに経済的な余裕はないはずなのに、何人も子供がいたり、上の子に下の子の育児を押し付けて遊び歩く親のニュースなどを見ると、悲しくなります。

 

そもそも、育てられないなら、そういった行為は避けるべきだと私は考えています。

育てられないというのは、学生であるなどの自分の状況はもちろん、相手の状況も含めてです。

働いて、子供を養うことができないなら、責任が取れるとは言えません。

子供を育てるために、独り立ちするまでにどのくらいのお金がかかるのか、そういった部分まで考えているでしょうか。

 

私は、生まれてくる子供は、自分の意志で生まれるわけではないと思っています。

両親が決めて、両親の意志で、生まれさせられます。

私が生まれたくて産まれてきたわけではないのに、なぜこんなにつらい思いをしなければならないのだろう、親が勝手に産んだのに、なぜこんなに否定されたり、叩かれたりしなければならないのだろう、と、私自身、いつも考えていたことです。

親が決めて、産まれてきたけれど、それでも生まれてこれて良かった、と思ってもらえる子育てができたら、それは本当に幸せな親子であり、幸せな家族だと言えると思います。

まとめ

毒親育ちが親になることを考える時、とても悩み、不安になり、いろいろなことを考えます。

でも、よく考えることができる、すごく悩むということは、既に子どものことを大切に思えている証拠だと言えます。

 

毒親は、子供の幸せよりも自分の幸せを優先します。

悩んだり、心配したりすることなく、自分にとって都合のいいほうを常に選択します。

 

毒親育ちであることを話したり、理解者を見つけたり、悩みに悩んで、その上で一緒に協力して、責任を持って子育てできる環境が整っていて、その決意ができたなら、自分が親になる挑戦をしてみてもいいと思います。

 

親になって初めて、親の気持ちが分かります。

幼少期に体験した、つらい経験も、自分の親の当時の気持ちを知るヒントになったり、冷静に考え直すチャンスにもなります。

 

毒親育ちの私が、親になってもいいのか…と真剣に考えて、悩むことができているあなたは、十分親になれる素質が備わっているのではないかと思います。

また、育児と言う難しい挑戦をすることで、自分をさらに成長させることもできます。

毒親の呪縛から解放されて、本当に幸せな自分の家庭を築いていきたいものですね。

 

毒親とは何か、最近よく聞く理由、過干渉のリスクなどを記事にまとめています。

ぜひ併せてお読みください。