毒親という言葉が認知され、問題提起や様々な情報が飛び交っています。
リアルタイムで毒親に悩んでいる方もいれば、大人になって毒親から解放されたものの、過去のトラウマと戦っていたり、自分が親になって悩んでいたり、状況もいろいろです。
今回は、毒親と宗教の関係を考えて行きたいと思います。
日本では、多くの方が仏教、もしくは無宗教ですとおっしゃる方でも、お葬式などは仏式で行う方が多いでしょう。
他にも多くの宗教がありますが、八百万の神などといった考え方もあり、何を信じるかは自由で、日本では比較的宗教の違いに寛容だったりもします。
また、仏教徒でありながら、クリスマスやイースターなど、キリスト教文化を由来としているイベントでも、抵抗感なく日本全体で楽しんでいるように感じます。
毒親と宗教には、どんな関係があるのでしょうか。
信教の自由
信教の自由と言う人権があります。
これは、何を信じても良い自由、何をも信じなくても良い自由のことです。
どんな宗教を信じることも自由で、無宗教でいることも自由です。
しかし、この人権は誰にでも与えられるべき自由であるはずですが、子供にとっては実際のところ、自由であるとは言えません。
なぜでしょうか。
子供にとっては信教の自由は無い
大人になれば、自分で話を聞いたり、興味があれば調べたりして、自分が信じるに値するものかどうかを見極めて、判断することができますし、自分の決定は自分の意志で行います。
そして、自分の選択は自分で責任を持つことになります。
しかし、子供はどうでしょうか。
無宗教の家に生まれて、どんな宗教に対しても寛容な家庭であれば、子供にとっても信教の自由があると言えるかもしれません。
しかし、既に何かを信じている家庭に生まれた場合、その子供たちには実質、信教の自由は無いことがほとんどです。
特に、親の信仰心が強ければ強いほど、信教の自由などと言う発言をすることでさえ、ご法度かもしれません。
親は、自分が信じていることを基準に子供に教えますし、話します。
当然のように子供を連れて宗教の集まりに行ったり、小さなころからその教えを子供にも言い聞かせます。
子供が嫌がったり、教えに反することをすれば、親は子供を叱ったりするかもしれません。
叱るだけで済めばまだいいほうで、怒鳴ったり、手が出たり、なんとかして従わせようとする親も少なからず存在します。
毒親の場合
毒親の場合、子供が宗教の教えに反する言動をした場合、子供が自分で信じるものを選べばよいという考えには至りません。
親が信じているものを信じないという反抗的な子供を、なんとか従わせるため、あの手この手を尽くします。
大声で怒鳴る、体罰を与える、無理やりにでも連れて行くなどの行動をするかもしれません。
食事を抜く、世話をしないなどの行動に出るかもしれません。
子供の育て方を説いている宗教はとても多いですが、痛い目に遭わせてでも子供を従わせることが、自分や子どもの幸せにつながると教えているものもあります。
子供が最終的にあきらめて従えば、よしよしと褒めたりするかもしれません。
このように、子供にとって、特に、自分の力だけでは生きていけない小さな子供にとっては、親の言うことは絶対であり、反抗しようものなら、毎日の生活さえ危ういと感じます。
毒親が宗教を熱心に信じている場合、その子供は信教の自由などありません。
身の危険を逃れるために、親の信じるものに従ったり、真面目に聞いたり、生活にその教えを当てはめるように努力するか、努力しているふりをします。
ふりをするということが通用するなら、うまく世渡りできるかもしれませんが、教えが厳格であったり、親がもともと厳しかったりすると、ふりはすぐにばれてしまいます。
こうなると、子供は自分の意志に関わらず、親の信じていることを自分にも当てはめて、しっかり教えを守っていることを、行動で示さなければいけなくなります。
教えに沿った生活ができていると親は非常に喜びますが、そのせいで学校生活で支障が出たり、友達や同級生から仲間外れにされたり、いじめられたり、状況が悪いと教師からも疎まれたり嫌われたりするようになります。
親は、大人になってから信じた宗教ですが、子供にとっては、抵抗できない状況下で、ほぼ無理やりやらされていることでしかなく、反抗したり抵抗すれば身に危険を感じ、徐々にあきらめて従うようになります。
もしくは、大人になって独立できるようになるタイミングまで待ち、自分で生きられるようになってから脱退することを考えたりするようになります。
子供にとっての信教の自由
子供にとっての信教の自由は、あってないようなものです。
そしてそれは、親が毒親かそうでないかにも、大きく関わってきます。
また、宗教の教えによっては、どんな方法を使ってでも子供を従わせることを良しとしているようなものもあり、もともと毒親ではなかったとしても、深い信仰心のあまり、毒親を形成してしまうこともあり得ます。
そうなると、子供にとっては宗教はある意味では脅威です。
自分の親をコントロールしてしまう宗教は、自分の存続にも関わるものです。
学校などの集団生活では、宗教も多数派と少数派に分かれます。
仏教や無宗教という家庭がほとんどの日本では、それ以外の宗教は孤立しがちです。
信教の自由など、子供にとってはそんなこと知る由もありません。
その教えにより、参加できない行事やイベントがあったりすると、なおさら仲間外れにされたりしてしまうのです。
子どもの頃は、学校や近所の子供たちとの人間関係が全てです。
子供は狭い世界でしか生活できません。
転校したり、学校に行かないという選択もあるとはいえ、結局は親がそれを許してくれない限り、実現には至りません。
そこで疎外されてしまえば、簡単に生きる気力や、意味を失ってしまいます。
まとめ
子供にとって、親の宗教の選択はとても大きな影響があります。
産まれる家庭を選ぶことも、親を選ぶこともできません。
産まれた家の、主に親が信じる宗教に、半強制的に入信しなければいけないことがほとんどです。
親が子供を思い通りにしようとする毒親と、信者を思い通りにしようとする宗教は、ある意味ではとても似ているのかもしれません。
宗教が毒親を形成してしまうこともあり、各人がひっそりと何かを信じることに留まらず、子供にも信仰を強要したり、他者への布教活動も、行き過ぎたり度を超えるようなことがあると、宗教そのものへの印象も悪くなってしまいます。
信じる宗教がある親の立場にある方は、子供が自分で信じるものを選べるようにしてあげたいものです。
子供の立場にある方も、大人になった時、例え子供のうちは無理だとしても、親元を離れるタイミングや、独り立ちするタイミングまではなんとか耐え忍んで、独りで生活していける技術や習慣を身につけながら、自由になれる時期を見計らっておきたいものです。
について記事にまとめていますので、ぜひ併せてお読みください。
コメント